【歴史ミステリー】日本の歴史上最大の謎7選!(邪馬台国はどこにあったのか?③)
2026/06/15
九州説とは何か
邪馬台国論争で最も有名なのが九州説です。
これは邪馬台国が現在の九州北部に存在したという考え方です。
なぜ九州説が生まれたのか
魏志倭人伝のルートを素直に読むと、中国から朝鮮半島を経由し、九州北部へ到着します。
そのため、
「邪馬台国は九州にあったのではないか」
という考えが自然に生まれました。
有力候補の地域
候補地として挙げられるのは、
- 福岡県
- 佐賀県
- 長崎県
周辺です。
特に
吉野ヶ里遺跡
が発見されたときには大きな話題になりました。
吉野ヶ里遺跡とは
吉野ヶ里遺跡は弥生時代最大級の環濠集落です。
発掘された当時、
「ついに邪馬台国発見か!」
と全国で報道されました。
しかしその後の研究では、
邪馬台国と断定する証拠は見つかっていません。
それでも九州説の有力候補であることに変わりはありません。
畿内説とは何か
現在、多くの研究者が有力視しているのが畿内説です。
これは邪馬台国が現在の奈良県周辺にあったとする説です。
転機となった大発見
1990年代以降、
纒向遺跡
の発掘が進みました。
すると驚くべき事実が判明します。
巨大都市だった
纒向遺跡は単なる村ではありませんでした。
- 巨大建築物
- 大規模道路
- 全国から集まる土器
などが発見されたのです。
当時としては異例の規模でした。
まるで古代日本の首都のような存在だったのです。
卑弥呼との関係
さらに年代を調べると、
卑弥呼が生きたとされる3世紀とほぼ一致しました。
このため、
「ここが邪馬台国ではないか」
という説が急速に有力になったのです。
箸墓古墳との関係
纒向遺跡の近くには
箸墓古墳
があります。
全長約280メートルという巨大古墳です。
卑弥呼の墓説
一部の研究者は、
「箸墓古墳こそ卑弥呼の墓ではないか」
と考えています。
理由は年代が一致するからです。
また魏志倭人伝には、
卑弥呼の死後に巨大な墓が造られたと記されています。
箸墓古墳はその条件に非常によく合っています。
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